雨が小降りになりかけている。庭の樹々がいつのまにかうっすらと緑づいてきているのに初めて気づく。低く垂れこめていた雨雲が見ている間に薄れ初めて、南山の頂を隠していた霧が消えてゆく。
雨は降り止んではいない。雨が小降りになるというのは、落ちてくる雨の総量が少なくなるというだけだろうか。一滴ずつの雨滴そのものも小さくなるのではないのか。本気に考えるというのでもなく、顔を窓ガラスに近づけながら、ふと思った。
路地の電柱から電線が二本、庭の樹々の間を抜けて、二階のすぐ下あたりまで通じている。電線はゆるくたわんでいる。その一番たわんだところに、電線全体に降った雨が集まってきて、少しずつ水滴が膨んで来ては、もう落ちるぞ、と思ってからさらに数秒間膨み続けて、意外に大きな滴になってから、やっと急に落ちる。雨の滴ふとつずつを見つめたことはこれまでもなかったと思う。降っている雨の何倍もの大きさにまで膨み続けるようだ。そして電線を離れる瞬間、紡錘形になって落ちるのか、それとも球体のままなのか。注意していても離れる瞬間を見逃してしまう。電線を離れたあとは確かに球体の形で、ひどくゆっくりと落ちてゆく。
そんな水滴にいつのまにか注意を集中したことが気持を落ち着かせたのか、そのときはほとんど放心状態に近い快い気分だったから水滴一個ずつの大きさと動きを、まるで拡大鏡で覗くように眺めることができたのかわからない。だがこんなに意識が深く開かれてしかも集中したことはなかったように思う。そしてさらに奇妙なことは、これからも一生多分ないだろうとはっきりとこのとき感じたことだ。
「 台風の眼 」
あの頃は、やたらとみんなで 「誰かと誰か」 を 「くっつけ」 ることがはやっていた。みんなといっても全員で16人しかおらず、それでもこの小学校ではいちばん人数の多い学年だった。
じゅんぎ(ぼく)、てるゆき、まこと、ひろき、かずのり、としゆき、こうき、はるき、しげこ、みずほ、みほの、あずえ、ふじみ、いくこ、みちよ、みより、(ななみとかおるは転校していった)
今でも全員の名前を覚えているし、顔を思い出すことさえできる。都合のいいことに男8人女8人と、全くもってバランスがとれていたのだ。
で、ぼくの相手がしげこちゃんだった。
しげこちゃんは目がクリッとした女の子で、しっかりものの優等生だった。ぼくが好きになったのが先だったのか、それとも誰かが 「くっつけ」 たのか、それとも 「くっつけ」 たから好きになったのか、それは自然と 「じゅんぎがしげこを好きみたい!」 という図式がいつの間にか出来上がっていた。だれかに冷かされるたびに怒った(ふりをした)り、でも冷かされるのが少年にとっては逆に嬉しかったりもする。しげこちゃんも「もー!」とか言いながらまんざらでもないような素振りをたまに見せる。
そして一度だけ、みんなに見せつけるかのように手をつないで下校をしたことがある。いやはやたいしたもんだ・・
切なくもなく愛しくもならない、それでも確かにあれは 「好き」 という初めての感情だったと思う。
中学校に上がると、3クラスで合計100名程の大所帯になり、しげこちゃんとはクラスが一緒になることもなく、自我の芽生えと共に自然と話さなくなる。
高校は9クラス300名、益々疎遠になる。
わずかにしげこちゃんとの思い出(らしきもの)がひとつ。
その頃ぼくは50㏄のバイクで通学しており、何かのタイミングで前を行くバスをバイクで追いかけていた。山道のカーブに差し掛かると、前のバスを追いかけるのに必死になり、ハンドルを切りそこない転倒してしまった。バイクから放り投げられアスファルトに叩きつけられ、ズボンも服も顔も頭も真っ白なほこりまみれになったのだ。でも不思議と怪我ひとつなく(膝を少し擦りむいたくらい)、転がったバイクの前に呆然と立ち尽くしていた。前のバスは停車して窓ガラスからみんな心配そうにぼくを見ていた。
するとひとりの女の子がバスからおりて走ってぼくに近づいてきた。
「じゅんぎー!、大丈夫?」
しげこちゃんだった。
高校を卒業して、そして今日までしげこちゃんとは会っていない。
それでも二十歳を少し越えた頃、一度だけ電話で話したことがある。その頃しげこちゃんは中学時代の同窓の女の子と一緒に看護学校に通っていて、電話の苦手なぼくが時間を忘れて、時間を越えて、しげこちゃんといろんな話をした。今の生活のこと、将来のこと、昔のこと、猫のこと、ひろきのこと。
電話の中のしげこちゃんは、二十歳を越えたしげこちゃんではなく高校生のしげこちゃんでもなく中学生のしげこちゃんでもなく、あの頃 「くっついた」 しげこちゃんだった。
2013年1月15日
しげこちゃんは癌と闘ったすえに天国に行った。
壊されたもの失ったもの泣いたもの耐えたもの歩き出したもの蘇えったもの立ちどまったもの、
さまざまな光景がそこにあり、それでもやっぱり明日は来る。
海は長い旅に疲れ果てた川を静かに抱擁し、川は海の懐でおだやかに眠りにつく。
「 彼岸先生 」
一ヶ月ぶりのmyカーで荒川土手を疾走する。
全身に受ける風は冷たく、季節は確実に秋から冬へと向かっている。
明日から11月だ。