雨が小降りになりかけている。庭の樹々がいつのまにかうっすらと緑づいてきているのに初めて気づく。低く垂れこめていた雨雲が見ている間に薄れ初めて、南山の頂を隠していた霧が消えてゆく。
雨は降り止んではいない。雨が小降りになるというのは、落ちてくる雨の総量が少なくなるというだけだろうか。一滴ずつの雨滴そのものも小さくなるのではないのか。本気に考えるというのでもなく、顔を窓ガラスに近づけながら、ふと思った。
路地の電柱から電線が二本、庭の樹々の間を抜けて、二階のすぐ下あたりまで通じている。電線はゆるくたわんでいる。その一番たわんだところに、電線全体に降った雨が集まってきて、少しずつ水滴が膨んで来ては、もう落ちるぞ、と思ってからさらに数秒間膨み続けて、意外に大きな滴になってから、やっと急に落ちる。雨の滴ふとつずつを見つめたことはこれまでもなかったと思う。降っている雨の何倍もの大きさにまで膨み続けるようだ。そして電線を離れる瞬間、紡錘形になって落ちるのか、それとも球体のままなのか。注意していても離れる瞬間を見逃してしまう。電線を離れたあとは確かに球体の形で、ひどくゆっくりと落ちてゆく。
そんな水滴にいつのまにか注意を集中したことが気持を落ち着かせたのか、そのときはほとんど放心状態に近い快い気分だったから水滴一個ずつの大きさと動きを、まるで拡大鏡で覗くように眺めることができたのかわからない。だがこんなに意識が深く開かれてしかも集中したことはなかったように思う。そしてさらに奇妙なことは、これからも一生多分ないだろうとはっきりとこのとき感じたことだ。
「 台風の眼 」