立秋を過ぎたら急に秋の匂いがしてきた。
昼はあいかわらず蒸し暑いが、明け方から朝にかけては少し肌寒いくらいだ。夏の象徴である入道雲も微妙に形をかえて、その圧倒的な存在感はややひかえぎみに初秋の陽射しを受けている。
少年の頃、夏は永遠に続くものだと思っていた。
少年たちの朝は「えいそ起きた」で始まる。
ラジオ体操は6時半からなのだが、その1時間ほど前に何人かの少年と少女たちの 「エイソ!オキタ!」という叫び声がぼくの玄関先に聞こえる。ぼくはその声に目をさまし電気をつける。するとそれが合図かのように掛け声がピタリと止む。まだ薄暗い外に出ていくと、みんなも一様にまだ寝ぼけ眼なのだ。互いにあいさつもろくにせず、次の家を目指してぼくたちは整列を組み、「エイソ!オキタ!」と大声を張り上げながら駆け足で走っていく。まだ明けきらない夏の朝に少年たちの「エイソ!オキタ!」の叫び声が響きわたる。そして次々に少年と少女をたたき起こしながら、ひとつの集団となり、整列を組み、声を張りあげながら駆けてゆく。やがて最後にたどり着くのが、いつもラジオ体操をしている小学校の校庭だ。
「エイソ」がなんのことか誰もわからないまま、いつの間にか夏休みの恒例となっていた「エイソオキタ」を、ぼくたちは夏のあいだ永遠に繰り返す。
そうやって少年の一日は始まり、そうやって少年の終わらない夏が始まる
一ヶ月ほど前の話。
朝、出社すると所長に呼びとめられた。 「昨日おばあちゃんから電話があったよ」 とのこと。
その電話は、もごもご・・とよく聴きとれないか細い声で、なにを言っているのかよくわからなかったようだ。どうにか理解できたことは 「イズミの身内の者です」 と 「孫がいつもお世話になってます」 ということだけだったらしい。
ぼくは当然 「 ???? 」
ぼくの祖母(母方の)は長生きした方だが、それでももう10年以上前に亡くなっており、父方の祖母は顔すら知らない。祖父においてはなぜか幼い頃からその存在すら意識して考えたことはなかった。
そんなわけだから、ただの間違い電話だったのだろうと、所長もぼくも首をかしげた。
ぼくの田舎の実家は龍郷のいちばん奥の方にあり、その実家とけっこう離れた龍郷小学校のさらに奥の方に、祖母はその当時ひとりで住んでいた。その祖母の家の奥におでもり山があり、おでもり山の麓には父の畑があった。
父の畑にたどり着くまでには長い道のりがある。田んぼのあぜ道があり、泥の沼があり、ススキや名も知らぬ雑草の生茂る藪道があり、蚊に刺されクモの巣を顔面にひっつけながら、棘をもつ長い茎の草を掻き分けて入っていくと、やっとその姿を現す。
鬱蒼としたその空間だけ冷気がただよい、そこに一歩足を踏みいれたとたん、ぼくたちは何故かいつもため息をついていた。
ぼくが小学校の頃そこにはサトウキビが植えられていて、収穫の時には家族総出で 「ウギ刈り」 をしたり、定期的に畑の整地をしたり、ピクニック気分でそこに弁当を広げに行ったりしていた。
そこには、また違う形の「家族」という宇宙があったように思う。
記憶が曖昧でよくおぼえていないのだが、畑にはいつしかサトウキビではなくスモモの木が植えられ、そしてその頃にはたまに兄と一緒に行く程度になり、父も姉たちももうあんまり行かなくなっていた。
なぜ足が遠のいたのか・・いつ、なぜ、サトウキビからスモモになったのか・・よくおぼえていないのだ。
そして、中学校に上がるころには、いつの間にかだれも行かなくなり、そこはただの荒地と化し、いつしかおでもり山の一部と同化していた。
あの父の畑、
今まで思い出すことさえなかったのだ。
謎のおばあちゃんからの電話から一週間後に、兄から電話があった。
あのおでもり山の麓にあった鬱蒼とした父の畑に、某ケイタイ電話会社がアンテナだか電波塔だかを建てるらしく、役所やら電話会社やら地権者やらの手続きの書類を作っているとのこと。
それに際し、土地の所有者の名義を今は亡き父から兄へと変更するために、長年ほったらかしにしていた土地の所有者の確認をしたところ、名義は父ではなく、なんと祖父(父の父)名義のままだったのだ。
で、その名義変更のために家族全員の同意書が必要だとの電話だった。
「 泉 安千代 」
兄から送られてきた書類の所有者の欄に書かれていた文字が目に飛びこむ
祖父の名は 「安千代 」 、たぶん 「やすちよ」 と読むのだろう・・
安千代 やすちよ
見たことも聞いたこともない祖父のこと
なんの思い出もない人
なのに 「安千代」 の文字がぼくの目に飛びこみ、離れない
家族ではない人
なのに 「安千代」 の文字がぼくの目から離れない
ぼくはじっと安千代を見つめていた
安千代
父の畑は時空をこえて祖父から兄のもとへ。
そして近い将来その畑の上をとびかうだろう電波が、時空をこえて祖母の声をぼくの会社へと運んできた。
と、いろんな事がいろんな何かが繋がっているような繋がっていないような、不思議なような関係ないような、考えすぎなような何かの暗示のような、そんなどうでもいいようなささいな出来事なのでした。
その頃の東京の象徴といえばやっぱり東京タワーだった。
高台に凛とそびえる赤い塔。
天を突くようにまっすぐにせりあがったその様を遠くから眺めるたびに、近い未来への希望や想像をふくらませ、あるいは羨望しながら、それはいつもぼくの前にそびえていた。
時に父のように、時に初恋のように、時に海のように。
いつか登ってみたいと思いつついまだに遠くから眺めるだけだ。
関西に1年間だけ住んでいた。
休みになると電車を乗り継ぎいつも行ったところがある。
京都の四条川原町にあるアーケード街だ。
そこをふらりとひとりで散策するのが好きだった。
古本屋に入り本を探す。
別にお気に入りの作家がいるわけではないが、本探しの決め手となるのはいつも「タイトル」と「表紙のデザイン」で、それは今でも変わらない。
たまにイメージとあった本を見つけるとそれだけで充実した一日だった。
東京タワーを見上げながら、なんの脈絡もなくそのアーケード街のことを思い出した。
時代の流れとともに東京タワーはレトロ色を強め、京都のアーケード街も今は哀愁ただよう街になっているのだろう(たぶん)
変わりゆくのは自分自身なのかもしれない。
なぜなら東京タワーもあのアーケード街も変わらずそこにあるのだから。
そして、それでも今でもぼくは思っている。
いつか東京タワーに登ってみたい、
と。
中学2年生のぼくは、その「キャンプ」にはあまり乗り気ではなかった。なにより集団行動が苦手だったのです。それでも、毎年行なうそのキャンプは村の恒例の行事になっており、龍郷湾の向こう岸の砂浜に船で渡って、そして中学生だけでキャンプを張る、というもので、ぼくは憂鬱な気分で参加した。
あいにくとその年は台風が接近中ということで、舟が出せる状態ではなく、近場の砂浜でキャンプをすることになった。
シマの夏はとても激しい。
昼間の砂浜は、裸足であるくと足の裏がやけどするくらいに砂が熱く、はだかで泳ぐと体はすぐに真っ赤に焼ける。焼けた膚は何日かすると白いぶつぶつができ、そのあと薄い膜のようになり、それを手で剥がしていく。そしてまた何回も太陽で焼かれて、その繰りかえしでシマの「褐色の少年達」ができあがるわけです。褐色の日焼けの色は、いわば夏休みの少年たちにとっての勲章だったわけです。
「夏」はシマでは「日常」であり「特別なもの」だった気がする。
台風の影響で風は強かったが太陽の陽射しは相変わらず激しく、テントを張りおえた男子は汗でビショビショになったTシャツを脱ぎ捨て、一目散で海に飛び込み、女子は夕食の準備に取りかかった。「キャンプ」という非日常的なもののせいか、ぼくもいつの間にか気分が高揚していた。「夏」の下では全員が幼い少年なのだ。
「よし!これから女子のおっぱいを触りにいくぞ」
やんちゃで一番色の黒いN君が言った。
深夜のテントの中、みんなもう眠っているのかと思いきや、やっぱりみんなも気分が高揚しているのか寝付かれなかったらしい。もう既に「夏」に侵されてしまったぼくは真っ先に同意し、男子4人で女子テントに忍びこむことになった。 「夏」のせいです・・
いつの間にか暗闇にも目が馴れていた。真っ暗な隣りのテントにそっと入っていくと、何人かの女子が寝ていた。いちばん最初にぼくの目に飛びこんできたのは「いっこちゃん」の寝姿だった。Tシャツを着て、毛布を体の半分くらいまでしか掛けてない、そのいっこちゃんを見ながら、ぼくは初めてドキドキしてきた。
いっこちゃんはぼくよりもひとつ年上で、家もそんなには離れていない近所だった。お互いに兄や姉が同級生だったせいか、小さいころはよく一緒に遊んでいたものだ。細身で小柄だった彼女は目鼻だちのしっかりした、いわゆる「かわいこちゃん」で、でもその見た目とはうらはらに、とても活発でおてんば娘だった。
あの小さくてちょっとだけかわいくておてんばだったいっこちゃん、いつしか一緒に遊ばなくなり、そして中学3年生になったいっこちゃんの、Tシャツを着て眠っているその姿を見ながらドキドキしていた。 「夏」のせいだ・・
ぼくはTシャツの上から、静かにいっこちゃんのおっぱいを触った。昼間泳いだからなのか・・たぶんブラジャーはつけてないのだろう、じかにいっこちゃんのおっぱいの感触が手の平に伝わった。 あぁ・・なんてやわらかいんだろう と思った。 昼間の太陽の熱までも伝わるようで、ぼくは両手でいっこちゃんのおっぱいを触りながら「夏」を感じていた。
っと、ぼくの手に少し力が入ったのだろうか・・いっこちゃんが突然、目を開けた。
目と目が合った。
それは一瞬だったのか、それともながい間だったのか・・
ぼくの頭のなかは真っ白になり、目が合った間でさえ手をのけることまでも忘れ、いっこちゃんのおっぱいの上にはぼくの両手が乗っかったままだった。互いに無表情で目と目を合わせたままふたりは固まってしまったのだ。
そしていっこちゃんは、なぜか目を閉じた。
ぼくは、はっと我にかえってテントを飛び出したのだった。
あのとき彼女はなぜ無表情のまま目を閉じたのか。いまでもわからない。
恐かったのか。感じていたのか(いや、それはないか・・)。これは夢なのだと思ったのか(これもないか・・)。もっと触ってほしかったのか(絶対ないか・・)。夏のせいなのか(・・・・)。
キャンプを終えたぼくは、いっこちゃんとバッタリ合いはしないだろうかと、ひやひやしながら夏休みの後半を過ごしたが、あいにくと合うことはなかった。そして二学期が始まり、昼休みの水飲み場でとうとう鉢合わせをしてしまったのです。
思いっきりビンタを食らわされました・・・・・・・・・・・
頬はとっても痛くて
手の平はとっても気持ちのいい
夏の思い出です。
あれがトラウマにもならず、
逆におっぱい大好き人間になれたのも、
いっこちゃんのおっぱいのおかげです。
いっこちゃん ありがとう。
いっこちゃん、
ぼくは君のおっぱいが大好きです。