川は海に恋焦がれ、ひたすら海のもとへと流れてゆく。山の奥深く、雨と恋をする森の木々は地中に愛の露を貯め、木の根と激しい恋をする岩がその愛の露を搾り出し、岩清水ができる。岩清水はやがて旅に出る。谷の手引きで、岩清水同士が出逢い、恋をし、沢が生まれる。沢は山が漏らす愛の露。山と山が愛し合って、沢は一つになり、川に生まれ変わる。川は岩を愛するあまり、岩を傷つけ、細かく砕き、無理やり旅の道連れにしてしまう。川は最愛の海へ向かって流れる。無数の贈り物を運びながら。道を削り、町をもぎとり、手当たり次第に略奪し、あらゆるものを運んでゆく。川は流れる。アダムとイブを乗せて。
海は長い旅に疲れ果てた川を静かに抱擁し、川は海の懐でおだやかに眠りにつく。
「 彼岸先生 」
海は長い旅に疲れ果てた川を静かに抱擁し、川は海の懐でおだやかに眠りにつく。
「 彼岸先生 」
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日記を書くものは誰もが世界の中心に立っている。もちろん、中心は世界に数え切れないほどあるので、他人が世界の中心に居座っていても困らない。ジョンは毎日、カメラを提げてダウンタウンをふらついているが、彼もまたレンズをのぞくことで世界の中心に立つ。トップレス・バーの踊り子も男たちの粘りついた視線にさらされることで世界の中心に立つ。国家主義者は外国に対する劣等感を高めることで世界の中心に立つ。あらゆる労働がその人を世界の中心に置くのだ。
私は日々の移ろい、旅、友人との親交、病い、災難をノートに記録しながら、全ての事柄が自分に関係があることに驚く。いつも私が主人公であり、英雄であり、語り手であり、世界の創造主である。
「 彼岸先生 」
私は日々の移ろい、旅、友人との親交、病い、災難をノートに記録しながら、全ての事柄が自分に関係があることに驚く。いつも私が主人公であり、英雄であり、語り手であり、世界の創造主である。
「 彼岸先生 」
私は帰り際に、自転車のペダルを漕ぎながら、星が見え始めた夕闇の透き通った空を眺めた。まるで映画のエンディングのような空色だった。いまにも THE END の文字が浮かび上がってきそうだった。私はその空を眺めながら思った。なぜ八月最後の日になると、いつもひとつの物語が終わるような気がするのだろう。明日も明後日も受験勉強をしなければならないのに、時間はずっと続いてゆくのに、なぜ八月三一日だけは特別な気がするのだろう。
「八月の博物館」
「八月の博物館」
最後の花火は、さっきミカが話題にした線香花火に決めた。垂れ下がった軸の先端に火をつけると、中心の真っ赤な雫の周りに、じりじりと微かな音を立てて、小さな雷のような黄色い光が無数に飛び散った。燃えていく線香花火を見つめながら僕は、もしいま時間が止まったら、もっと奇麗だろうと思った。この小さな雷は、たくさんの細い枝のように、じっと固まって、そしてその固まった光の枝を掌で押したら、きっと飴のようにぱりぱりと崩れて、どんなに素敵な眺めだろうと想像した。
「向日葵の咲かない夏」
「向日葵の咲かない夏」
日曜日は朝から晴れていた。その晴れた青空で豆のはじけるような花火の音がした。うちあげられたボールがわれて、なかから小さな落下傘が三つ、四つゆっくりと歩行者天国で賑わう大通りに舞いおりてくる。アイスクリームをなめていた子供や若い恋人たちが笑い声をあげながら、その落下傘を拾いに走った。
花火の音は勝呂医院の診察室にまで聞こえてきた。太鼓の音もする。もうしばらくすると町内の若い者たちがかつぐ御輿も出るだろう。神社の周りには露天がずらりと並んでいる。色とりどりの風船やお面を売る店、餅細工の店、鯛やきの店、イカを焼く煙。綿あめがどんどん大きくなっていく。
「悲しみの歌」
今でも、届く声がある。
幼い頃に、ずっと遠くから仲良しの友達に呼ばれたような感じで、まっすぐに、無邪気に頭の中に響いてくる声がある。ぼくはそれをまるで生まれたての子猫を抱くように静かに優しく摑みとって、その言葉を繰り返してみる。
あの頃のようにこっちから送ることはできなくなってしまったけれど、受けとることはまだできる。送った子はしっかり僕をつかまえてくれているだろうか。意外と年寄りなのでびっくりしているかもしれない。
「そこへ届くのは僕たちの声」
幼い頃に、ずっと遠くから仲良しの友達に呼ばれたような感じで、まっすぐに、無邪気に頭の中に響いてくる声がある。ぼくはそれをまるで生まれたての子猫を抱くように静かに優しく摑みとって、その言葉を繰り返してみる。
あの頃のようにこっちから送ることはできなくなってしまったけれど、受けとることはまだできる。送った子はしっかり僕をつかまえてくれているだろうか。意外と年寄りなのでびっくりしているかもしれない。
「そこへ届くのは僕たちの声」