一ヶ月ほど前の話。
朝、出社すると所長に呼びとめられた。 「昨日おばあちゃんから電話があったよ」 とのこと。
その電話は、もごもご・・とよく聴きとれないか細い声で、なにを言っているのかよくわからなかったようだ。どうにか理解できたことは 「イズミの身内の者です」 と 「孫がいつもお世話になってます」 ということだけだったらしい。
ぼくは当然 「 ???? 」
ぼくの祖母(母方の)は長生きした方だが、それでももう10年以上前に亡くなっており、父方の祖母は顔すら知らない。祖父においてはなぜか幼い頃からその存在すら意識して考えたことはなかった。
そんなわけだから、ただの間違い電話だったのだろうと、所長もぼくも首をかしげた。
ぼくの田舎の実家は龍郷のいちばん奥の方にあり、その実家とけっこう離れた龍郷小学校のさらに奥の方に、祖母はその当時ひとりで住んでいた。その祖母の家の奥におでもり山があり、おでもり山の麓には父の畑があった。
父の畑にたどり着くまでには長い道のりがある。田んぼのあぜ道があり、泥の沼があり、ススキや名も知らぬ雑草の生茂る藪道があり、蚊に刺されクモの巣を顔面にひっつけながら、棘をもつ長い茎の草を掻き分けて入っていくと、やっとその姿を現す。
鬱蒼としたその空間だけ冷気がただよい、そこに一歩足を踏みいれたとたん、ぼくたちは何故かいつもため息をついていた。
ぼくが小学校の頃そこにはサトウキビが植えられていて、収穫の時には家族総出で 「ウギ刈り」 をしたり、定期的に畑の整地をしたり、ピクニック気分でそこに弁当を広げに行ったりしていた。
そこには、また違う形の「家族」という宇宙があったように思う。
記憶が曖昧でよくおぼえていないのだが、畑にはいつしかサトウキビではなくスモモの木が植えられ、そしてその頃にはたまに兄と一緒に行く程度になり、父も姉たちももうあんまり行かなくなっていた。
なぜ足が遠のいたのか・・いつ、なぜ、サトウキビからスモモになったのか・・よくおぼえていないのだ。
そして、中学校に上がるころには、いつの間にかだれも行かなくなり、そこはただの荒地と化し、いつしかおでもり山の一部と同化していた。
あの父の畑、
今まで思い出すことさえなかったのだ。
謎のおばあちゃんからの電話から一週間後に、兄から電話があった。
あのおでもり山の麓にあった鬱蒼とした父の畑に、某ケイタイ電話会社がアンテナだか電波塔だかを建てるらしく、役所やら電話会社やら地権者やらの手続きの書類を作っているとのこと。
それに際し、土地の所有者の名義を今は亡き父から兄へと変更するために、長年ほったらかしにしていた土地の所有者の確認をしたところ、名義は父ではなく、なんと祖父(父の父)名義のままだったのだ。
で、その名義変更のために家族全員の同意書が必要だとの電話だった。
「 泉 安千代 」
兄から送られてきた書類の所有者の欄に書かれていた文字が目に飛びこむ
祖父の名は 「安千代 」 、たぶん 「やすちよ」 と読むのだろう・・
安千代 やすちよ
見たことも聞いたこともない祖父のこと
なんの思い出もない人
なのに 「安千代」 の文字がぼくの目に飛びこみ、離れない
家族ではない人
なのに 「安千代」 の文字がぼくの目から離れない
ぼくはじっと安千代を見つめていた
安千代
父の畑は時空をこえて祖父から兄のもとへ。
そして近い将来その畑の上をとびかうだろう電波が、時空をこえて祖母の声をぼくの会社へと運んできた。
と、いろんな事がいろんな何かが繋がっているような繋がっていないような、不思議なような関係ないような、考えすぎなような何かの暗示のような、そんなどうでもいいようなささいな出来事なのでした。
金環日食にはあまり興味がなかったので、専用の「日食グラス」なるものも買ってるわけがなく、それでもその日が日食の日だということは知っていた。
その日は仕事が休みだったので、7時ごろに目がさめると、そういえば・・と思いカーテンを開け空を見上げた。あいにくの曇り空だったが、雲のすきまからまぶしい太陽が顔をだしていた。いつもよりやや強めの太陽の光を目を細めながら見てみると、太陽の右斜め上の方が、なんとなく欠けているような気がしたが、まだ時間もはやいし気のせいだろうと、またカーテンを閉め寝てしまった。
ぼくのほんの少しの金環日食の知識は、7時半ごろに金環が見れるということだけで、それも、その時間にいきなり月が太陽に重なりリング状になる、と思っていた・・なんという知識力。
あの時間にぼくが見た太陽は日食の始まりだったんだねー。よく見ておけばよかった、と今さらながら激しく後悔。でも肉眼だったので、あのまま見つづけてたら確実に目を傷めていたことだろう。
その頃の東京の象徴といえばやっぱり東京タワーだった。
高台に凛とそびえる赤い塔。
天を突くようにまっすぐにせりあがったその様を遠くから眺めるたびに、近い未来への希望や想像をふくらませ、あるいは羨望しながら、それはいつもぼくの前にそびえていた。
時に父のように、時に初恋のように、時に海のように。
いつか登ってみたいと思いつついまだに遠くから眺めるだけだ。
関西に1年間だけ住んでいた。
休みになると電車を乗り継ぎいつも行ったところがある。
京都の四条川原町にあるアーケード街だ。
そこをふらりとひとりで散策するのが好きだった。
古本屋に入り本を探す。
別にお気に入りの作家がいるわけではないが、本探しの決め手となるのはいつも「タイトル」と「表紙のデザイン」で、それは今でも変わらない。
たまにイメージとあった本を見つけるとそれだけで充実した一日だった。
東京タワーを見上げながら、なんの脈絡もなくそのアーケード街のことを思い出した。
時代の流れとともに東京タワーはレトロ色を強め、京都のアーケード街も今は哀愁ただよう街になっているのだろう(たぶん)
変わりゆくのは自分自身なのかもしれない。
なぜなら東京タワーもあのアーケード街も変わらずそこにあるのだから。
そして、それでも今でもぼくは思っている。
いつか東京タワーに登ってみたい、
と。
五反田から山手通りを目黒方面に進行し、東急線の高架下をくぐって左に入ると「かむろ坂」がある。
なだらかな坂道とゆっくりくねりながら上ってゆくその道は桜並木になっており、桜の季節になると見事な桜のトンネルになる。
千鳥ヶ淵や目黒川などのいわゆる「桜の名所」とよばれている華やかなとことは違い、地味で静かな隠れた桜の名所。ひっそりとたたずむその通りがぼくは好きだ。
桜の時期だけではなく、多くのタクシードライバー達にとってもそこは格好の休憩ポイントでもある。
本通りから逸れたわき道なので車の往来も少なく、道路わきには公園と公衆トイレがあり、いつもドライバー達はそこで用をたし一服している。
花の散ったあとの鮮やかに色づいた緑の葉桜はもっと好きで、枯葉の時季はゆるやかな車道に舞う茶色に変わった葉っぱたち。雨のふる明け方には、太陽に照らされた桜の木と濡れたアスファルトが眩しく反射する。
3つほど遡った桜の季節。
大井町で若い女性とそのお母さんらしき二人連れのお客さんが乗車した。
このタクシーチケットの有効期限が今日までなんですよ、と女性はそのチケットをぼくに見せ、母と一緒に桜の名所巡りをしたいと言う。なるほど、明日にはただの紙切れと化すそれの有効活用としては正しい選択だ。ぼくは都内の桜スポットを何ヶ所か提案し案内した。そして、最後にどういても行きたいところがあるんです、とお母さんが言った。
かむろ坂の桜が見たいんです。
かむろ坂の公園脇に車を停めると、母と娘は最後の花見散歩に出ていった。
ぼくは自動販売機で買った缶コーヒーを飲みながら、桜の木の下のベンチに腰かけてふたりを待つことにした。しばらくして戻ってきたふたりは、来てよかったねー、うん、かむろ坂の桜がいちばん好き、と話しながら車に乗りこんだ。
そんな3年前のことを思い出しながら桜の下の車内でうとうとしていると、コンコンと窓ガラスをたたく音がした。
「すいません、目黒川までいきたいんですけど」
さあ仕事だ。
ぼくはシートベルトを締め直し、ドアを開けた。
現在の高さ 318m
ここに越してきた去年の10月は198mだったので、半年足らずで100m以上伸びたんだねー。
がんばったね、東京スカイツリー。
でもまだ半分だ、がんばれ東京スカイツリー!