日記を書くものは誰もが世界の中心に立っている。もちろん、中心は世界に数え切れないほどあるので、他人が世界の中心に居座っていても困らない。ジョンは毎日、カメラを提げてダウンタウンをふらついているが、彼もまたレンズをのぞくことで世界の中心に立つ。トップレス・バーの踊り子も男たちの粘りついた視線にさらされることで世界の中心に立つ。国家主義者は外国に対する劣等感を高めることで世界の中心に立つ。あらゆる労働がその人を世界の中心に置くのだ。
私は日々の移ろい、旅、友人との親交、病い、災難をノートに記録しながら、全ての事柄が自分に関係があることに驚く。いつも私が主人公であり、英雄であり、語り手であり、世界の創造主である。
「 彼岸先生 」
私は日々の移ろい、旅、友人との親交、病い、災難をノートに記録しながら、全ての事柄が自分に関係があることに驚く。いつも私が主人公であり、英雄であり、語り手であり、世界の創造主である。
「 彼岸先生 」
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目黒区の交差点は、とても趣き深い名称や珍しい地名が多い。 「蛇崩:じゃくずれ」 「油面:あぶらめん」 「田道:でんどう」 「後地:うしろじ」 等々。
なかでも僕のいちばんのお気に入りの交差点は 「蛇崩」 の交差点だ。最初にお客さんからその地名を聞いたとき 「ど、どこですかそれ?」 と、わざとお道化てみせ失笑をかったことがある。初めての地名を聞いた場合は、知ったかぶりをせずに、自らお道化を演じてみるのもひとつの有効な手段なのだ。ただし相手を見極めなければとんだ失敗になるのだが・・。
蛇崩にはいろんな入り方があるが、いちばん簡単なのは山手道りの青葉台一丁目の交差点から野沢道りに入り、道なりに進んでいくと三宿道りと交差する少し手前にその交差点がある。車二台がギリギリにすれ違えるくらいの狭い道路で、ゆるやかな坂道が蛇崩の交差点でゆっくりと右にカーブし、左下からは中目黒から伸びたまっすぐな道と、左斜めからは中途半端な道が交差し、右方向には狭い路地が伸びて、けっこう複雑な交差点なのだ。その名のとうり、かなり不気味で静かで不思議な雰囲気をかもしだしている。
「蛇崩」という名の由来を調べてみると、その昔この地で洪水があり崩れた崖から大蛇が出てきた、とか、その洪水の水の流れがくねりながら渦巻く様が蛇と似ていた、とか、その他にもいろんな説があるそうだ。いずれにせよ、水量の多い川があり、崩れるほどの崖があり、かなりの辺境地であったのは間違いない。
「油面」の由来は、この一帯で菜の花の栽培をしており、そこから採れる油をお寺の灯明用として奉納していたため税が免除された。「油免」→「油面」になったそうな。
「田道」は、読んで字のごとく田んぼの道・・ と、思いきや、江戸時代に音読みが流行し 「たみち」 が 「でんどう」 になったそうな・・。
ま、これらの説のどこまでが真実でどこまでが作り話とかは自分自身の想像力の問題であり、そのイメージの向こう側を見ながらいろいろな交差点を通過していくのも、また乙なものである。
なかでも僕のいちばんのお気に入りの交差点は 「蛇崩」 の交差点だ。最初にお客さんからその地名を聞いたとき 「ど、どこですかそれ?」 と、わざとお道化てみせ失笑をかったことがある。初めての地名を聞いた場合は、知ったかぶりをせずに、自らお道化を演じてみるのもひとつの有効な手段なのだ。ただし相手を見極めなければとんだ失敗になるのだが・・。
蛇崩にはいろんな入り方があるが、いちばん簡単なのは山手道りの青葉台一丁目の交差点から野沢道りに入り、道なりに進んでいくと三宿道りと交差する少し手前にその交差点がある。車二台がギリギリにすれ違えるくらいの狭い道路で、ゆるやかな坂道が蛇崩の交差点でゆっくりと右にカーブし、左下からは中目黒から伸びたまっすぐな道と、左斜めからは中途半端な道が交差し、右方向には狭い路地が伸びて、けっこう複雑な交差点なのだ。その名のとうり、かなり不気味で静かで不思議な雰囲気をかもしだしている。
「蛇崩」という名の由来を調べてみると、その昔この地で洪水があり崩れた崖から大蛇が出てきた、とか、その洪水の水の流れがくねりながら渦巻く様が蛇と似ていた、とか、その他にもいろんな説があるそうだ。いずれにせよ、水量の多い川があり、崩れるほどの崖があり、かなりの辺境地であったのは間違いない。
「油面」の由来は、この一帯で菜の花の栽培をしており、そこから採れる油をお寺の灯明用として奉納していたため税が免除された。「油免」→「油面」になったそうな。
「田道」は、読んで字のごとく田んぼの道・・ と、思いきや、江戸時代に音読みが流行し 「たみち」 が 「でんどう」 になったそうな・・。
ま、これらの説のどこまでが真実でどこまでが作り話とかは自分自身の想像力の問題であり、そのイメージの向こう側を見ながらいろいろな交差点を通過していくのも、また乙なものである。
福山雅治の歌に ”イメージの向こう側” というフレーズが出てきて、どんな歌だったか忘れたけれど、そのフレーズだけが心に残っている。
いろんなことを想像しイメージしてみる。空の広さや宇宙の碧さ、今朝みた夢のことや、明日のこと未来のこと。動物には直感があり人にはイメージする力がある。 「人間が想像したことはすべて実現している」 と誰かが言っていた。それは飛行機であったり携帯電話であったり、インターネットであったり核兵器であったり。しかし、それらはイメージのこちら側にしかすぎないのだ。
人にだけ与えられた力で僕たちは空や宇宙や夢や明日の向こう側を見ることができる。
いろんなことを想像しイメージしてみる。空の広さや宇宙の碧さ、今朝みた夢のことや、明日のこと未来のこと。動物には直感があり人にはイメージする力がある。 「人間が想像したことはすべて実現している」 と誰かが言っていた。それは飛行機であったり携帯電話であったり、インターネットであったり核兵器であったり。しかし、それらはイメージのこちら側にしかすぎないのだ。
人にだけ与えられた力で僕たちは空や宇宙や夢や明日の向こう側を見ることができる。
いつものホテルで付け待ちしていると、50代位の女性が乗車してきた。
「どちらまでですか?」と尋ねてもうつむいたまま何も言わない・・ 再度「どちらまでですか?」と言っても黙ったまま。なかなか車が出ないので、ホテルのポーターが心配そうに車内を覗き込んでいる。しばらく間をおき、その女性は顔をあげうつろな目つきで「平和島駅まで」と、ようやく行き先を告げた。
ホテルを出て最初の信号で右にウインカーをだすと、その女性が何かぼそぼそとつぶやいた。話しかけられたのかと思い、「はい、なんでしょうか?」と問いかけると、それを無視してまたぼそぼそと・・・。なんだ独り言かと、そのまま走行していると、今度は大声で笑いだした 「五郎ちゃん、五郎ちゃん、ちがうのよ五郎ちゃん、あはははは」 と、ひとしきり笑いに満足したあとに、またうつむいてぼそぼそぼそと独り言が始まった。
とうとう平和島駅に到着するまでその女性はつぶやき続けていた。
午後10時15分
大井町の定位置で車を停車していると、路地から頭をツルツルにした女性のお坊さんが乗車してきた。もうこのお坊さんは5、6回くらい乗せていて顔なじみのお客さんだ。週の前半この時間この位置で待ってたら、けっこうな確立で遭遇する。赤ら顔のお坊さんは「今日はあたしの誕生日だったのよ、はい、もらったクッキーあげる」と、かなり高級そうなクッキーを僕にくれた。そして「あなたも一緒に歌って!ハッピーバスディ~トゥ~ユ~~」と歌いだし、ぼくも強引に歌わされた・・
深夜4時
五反田から西馬込までのお客さん。「着いたら起こして」と、そのお客はすぐに眠ってしまった。この時間のこのパターン・・ 慎重に運転し慎重にお客を起こした 「お客さま着きましたよ」 「あ、ありがとう」
なにごとも起こらなく平和な一日が終了した。
「どちらまでですか?」と尋ねてもうつむいたまま何も言わない・・ 再度「どちらまでですか?」と言っても黙ったまま。なかなか車が出ないので、ホテルのポーターが心配そうに車内を覗き込んでいる。しばらく間をおき、その女性は顔をあげうつろな目つきで「平和島駅まで」と、ようやく行き先を告げた。
ホテルを出て最初の信号で右にウインカーをだすと、その女性が何かぼそぼそとつぶやいた。話しかけられたのかと思い、「はい、なんでしょうか?」と問いかけると、それを無視してまたぼそぼそと・・・。なんだ独り言かと、そのまま走行していると、今度は大声で笑いだした 「五郎ちゃん、五郎ちゃん、ちがうのよ五郎ちゃん、あはははは」 と、ひとしきり笑いに満足したあとに、またうつむいてぼそぼそぼそと独り言が始まった。
とうとう平和島駅に到着するまでその女性はつぶやき続けていた。
午後10時15分
大井町の定位置で車を停車していると、路地から頭をツルツルにした女性のお坊さんが乗車してきた。もうこのお坊さんは5、6回くらい乗せていて顔なじみのお客さんだ。週の前半この時間この位置で待ってたら、けっこうな確立で遭遇する。赤ら顔のお坊さんは「今日はあたしの誕生日だったのよ、はい、もらったクッキーあげる」と、かなり高級そうなクッキーを僕にくれた。そして「あなたも一緒に歌って!ハッピーバスディ~トゥ~ユ~~」と歌いだし、ぼくも強引に歌わされた・・
深夜4時
五反田から西馬込までのお客さん。「着いたら起こして」と、そのお客はすぐに眠ってしまった。この時間のこのパターン・・ 慎重に運転し慎重にお客を起こした 「お客さま着きましたよ」 「あ、ありがとう」
なにごとも起こらなく平和な一日が終了した。
私は帰り際に、自転車のペダルを漕ぎながら、星が見え始めた夕闇の透き通った空を眺めた。まるで映画のエンディングのような空色だった。いまにも THE END の文字が浮かび上がってきそうだった。私はその空を眺めながら思った。なぜ八月最後の日になると、いつもひとつの物語が終わるような気がするのだろう。明日も明後日も受験勉強をしなければならないのに、時間はずっと続いてゆくのに、なぜ八月三一日だけは特別な気がするのだろう。
「八月の博物館」
「八月の博物館」
最後の花火は、さっきミカが話題にした線香花火に決めた。垂れ下がった軸の先端に火をつけると、中心の真っ赤な雫の周りに、じりじりと微かな音を立てて、小さな雷のような黄色い光が無数に飛び散った。燃えていく線香花火を見つめながら僕は、もしいま時間が止まったら、もっと奇麗だろうと思った。この小さな雷は、たくさんの細い枝のように、じっと固まって、そしてその固まった光の枝を掌で押したら、きっと飴のようにぱりぱりと崩れて、どんなに素敵な眺めだろうと想像した。
「向日葵の咲かない夏」
「向日葵の咲かない夏」