4年前に書いた日記を読み返してみる。おでもり山の麓の畑(母はゴスコの畑と言っているが)の事を書いた日記だ。その日記の最後に「何かの暗示か・・」と確かに書かれていた。
その出来事から2年後にぼくは25年ぶりに龍郷に帰り、ゴスコの畑に建てられた電波塔の前に立った。畑までの道はあの頃とは比べ物にならないくらいに整備され、車でたやすく行くことができた。畑は思ったほど荒れてはなかったが、たくさんの草の中から背の低い向日葵が何本も生えていて、隅の方にはこの畑に不似合いな電波塔がひっそりと聳えていた。
そして、その2年後の今、ぼくは休みのたびに母と一緒にここへ来て、2年前よりも明らかに荒れ果てたこの畑の草刈りをしている。土が案外やわらかく、ある程度の草は簡単にぬけるのだが、地面中になんかの根っこが蔓延って、それを根本からひっこ抜いていく。すすきも大きいものになると容易にはぬけず、鍬を入れるか根本から釜で切っていく。
母との共同作業はなかなか楽しいものがある。二人とも話もしないでもくもくと作業を続ける。たんたんと草や土と格闘する。一段落つくと、抜いた草の上に座り込み、なにも喋らずペットボトルの水を飲み、休憩する。そして、また静かに土と格闘しにいく。そんな二人だけの作業がなんだかとても楽しく感じる。
刈り取られ、積み上げられたススキの山に乗り、白い電波塔を見上げて考える。
100年の時を越え、安千代は電波に乗って、このゴスコから東京にいたぼくを探しだし、ここまで導いてくれた。
4年前のあの日の出来事。今日この日この時の暗示だったのだろうか。
あの日からは想像さえできなかった僕がここにいる。
今、母ちゃんといっしょに僕はここに立っている。