ヨコ乗り乗務ながら、本日初乗務を果たす。
『流し』はやっぱりお客さんが乗らない。
いくら走っても手をあげる人がいない。
というか市内には人さえまばらな状態だ。
昔は、古見本道り、銀座通りや本通りには、人が溢れていて、ぼくら龍郷っちゅからしてみたら名瀬は大都会だった。
高校時代にバス通学をしていた時期があった。帰りのバスを待つ間「岩崎バス」の車庫から本通りを歩き、アーケード街をブラブラ行ったり来たりし、「寿屋」に寄り、「じんのうちレコード」に入って、「楠田書店」で立読みし、車庫の近くのお店でたこ焼きを食ったり、意味もなくぶらついていた。
とにかく人が多く、いつも活気があり、エネルギーに満ちていた。
今は岩崎バスも奄美交通もなくなって『しまバス』になり、寿屋もなくなり、楠田書店は
移転し、じんのうちレコードとたこ焼き屋さんだけが昔の面影を残したままだった。
市内に5ヶ所の無線の待機所があるが、そこで無線待ちを兼ねて休憩をとる。
ヨコ乗りの先輩指導員も、昔の活気がうそのように今は人がいないと嘆いていた。とにかく根気良く流し、そして待機所で休憩して無線待ち。それを繰り返していれば、そのうち、いいお客さんに当たるとのこと。
と言った矢先に車に無線が入る。慌てて車にもどり、メデタイ第一号のお客様の元へと向かう。第一号様は80歳くらいのおばあちゃん。近くのスーパーまで。シマ方言でいろいろとおしゃべりをし、あっと言う間に目的地のスーパーに到着。ばっちゃんは下車し、深々とこちらに頭を下げる。ありがとう!ばっちゃん。
その後、また流していたら30分ほどで再び無線が入った。
○○病院へと向かう。第二号様は、なんと先ほど乗せたばっちゃんの旦那さんだった。さすがはシマ!狭すぎ・・。先ほど奥さん乗せましたよーと言うと「はげはげー」と喜んでいた。
病院からさっき乗せたばっちゃんの家へと向かう。が、じっちゃんが病院に傘を忘れたとのことで、また病院へとUターン。そして再び自宅へと向かう。
自宅へ着くと、後ろから着いてきた同じOタクシーの車もすぐ後ろで停車した。そこから降りてきたのは、なんと先ほど乗せたばっちゃんだった・・。どうやらさっきのスーパーからの買い物帰りなのだろう。
じっちゃんとばっちゃんと僕と先輩指導員と後ろの運転手と、いっしょになって「はげはげー」の合唱になった。シマ狭すぎ・・
その後、待機所で何件か無線を受けたが、ほとんどがお年寄りのおばあちゃんやおじいちゃんばかりだった。でも、無線は結構入るもんだとひとまず安心する。
それにしても『流し』で人が乗らない。と、指導員にぼやいていたら、図書館前でおばあちゃんが手を挙げた。流しのお客様第一号です! 郵便局前の病院まで送っていきました。ありばとうおばあちゃん。なるほど、流しでもお客さんがちゃんといることに、またもやひと安心する。
要は『根気と忍耐』、そしてタイミングさえ合えば無線も入るし手を挙げるお客さんも出てくる。運をつかむのも自分の努力次第で、とにかく動かないことには運さえも逃げてしまう。それは東京でもシマでも変わらないという、あたりまえなことを再確認させられた。
今日一日はかなり貴重で濃い一日になった。