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思い出は・・言葉にした瞬間に色褪せるんだろうか。
大切な思い出がたくさんある。たくさんの思い出はしっかりとぼくの細胞に組みこまれている。
しかし、この大切な物たちはいつかぼくの体内から離れていくんだろうか。ぼくのいちばん大切な物はいつかなくなってしまうのだろうか。

思い出は書くことによってより鮮明になり、逆に言葉にすることによって色褪せてしまう。
それは、書くということは過去を掘りおこすことで、言葉にするということは過去を放出してしまうということなのだろう。
「メダマ」と「ボールペン」、そのふたつの大切な物を放出した瞬間、それはまぎれもなく色褪せてしまった。

思い出は・・色褪せるから思い出なのだろうか。
できるならば放出したくない。しかし、大切な物ほど放出しなければならない時がかならずやってくる。大切な物はずっとずっと宝箱の奥に仕舞いこみしっかりと鍵をかけておきたい。それは絶対に失いたくない物。でも・・藤沢の家、メダマ、ボールペン、と短期間のうちにたくさんの鍵をあけてしまったのだ。

思い出が色褪せてゆく。
大切な物たちが一気に放出されぼくの細胞から離れていく。
悲しい。
それはとても悲しいことだ。

思い出は・・いつか忘れ去らなければならないのだろうか。
思い出は・・いつかぼくから放れていくのだろうか。
悲しみさえも、いつか忘れさられてしまうのだろうか。


    



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このふたつの思い出を最近やっとふたりに話すことができた。


今月12日にぼくはなんと28年ぶりにシマの実家に帰省した。
そのとき兄もきていたのであの「メダマ横投げ事件」のことを話してみた。たぶんもうあんなことなんか忘れているだろうと思ったが、なんと兄はその時のことをぼくよりも鮮明に覚えていたのだ。ついでにぼくの記憶ちがいまで指摘してきやがった・・

兄はぼくたちと一緒にメダマをやっていたのではなく、たまたま通りかかったらぼくたちのメダマ遊びをみつけ、お手本を見せてやろうとえらそうに講釈をぶって、であのとぼけた「メダマ横投げ攻撃」をやってのけたという。冗談のつもりでやったのが見事に命中して自分でも内心びっくりしたんだそうだ。
ぼくよりもはっきりと覚えていたことにおどろかされる。


人にはそれぞれたくさんの思い出がある。大切な思い出。ささいな思い出。いやな思い出。色褪せた思い出。忘れ去りたい思い出。忘れ去った思い出。


「ボールペン」のことをKに話したのは去年の11月24日だった。
4年おきにやっている高校の同窓会が去年は東京で開催され、ぼくは参加しなかったけど、その同窓会を終えたKが真夜中にぼくの部屋に泊まりにきたのだ。
とうぜん覚えてるだろうとあの電話の件を言い、あのときなんでボールペンだったんかい?と聞いてみた。すると、なんとKはそんなことなどまったく覚えてなかったどころか、あの子の存在も、あの公園での出来事なんかもすっかりと忘れてしまっていたのだ。

でもぼくのその話を聞いて、
「気ぃつかいのおれだったらたぶん、『そのボールペンでじゅんぎに手紙でもかいたらいいよ』、というメッセージを込めたボールペンだったんじゃないかい?」とのこと。
それを聞いた瞬間、目からウロコが落ちた。
なるほど・・ボールペンにはそんなメッセージがこめられていたのか。うんうん、間違いない。でないとプレゼントにボールペンなどと陳腐な選択をするわけがない。Kはおせっかいなどではなく、本当に気の利くやつだったのだ。

でも唯一彼の誤算だったことは、中学3年生の女の子がボールペンに込められたそんなメッセージを果たして理解できたのだろうかということ。
事実、あの子から手紙なんぞいっさい届かなかった・・
ああやっぱりKはただのおせっかいやろうだった。
ふたつの大切な思い出がある。
その思い出をいつかその当事者のふたりに話してみようと思っていた。


ひとつは兄ちゃんとの「メダマ」の思い出。

メダマとはいわゆるビー玉遊びのことで、シマではしょっちゅうそこかしこでこどもたちがそのメダマ遊びをやっていた(自分のメダマを相手のメダマにぶつけて穴に入れる、等々詳しいルールはすっかり忘れてしまったが・・)。その日も家のまえのひろばでいつものように近所の友達や兄ちゃんといっしょにメダマをやっていた。
で、そのとき兄ちゃんのとった行動がぼくの中で衝撃的な出来事として残っているのだ。

それは、兄ちゃんが正面のメダマをねらうふりをして、フェイントをつき正面を向いたままいきなり真横に自分のメダマを投げたのだ。それがまた見事に相手のメダマに命中してしまったのだ。そんなとぼけたことを兄は時々する人で、でもそんな時はことごとく的をえた結果になってしまうのだった。
そんな、いま思えばほんのささいな出来事なのだけど、その衝撃と光景をぼくはずっと鮮明に覚えていて、自分の中に大切にあたためていて、いつか兄に話してみようと思っていたのだ。




もうひとつの思い出はKとの電話でのやりとり。

ぼくが高校3年のときに好きになった子が、3才年下の中学3年生の女の子だった。
新川沿いにある公園で学校帰りによく待ちあわせをして、そこにあるベンチでいちゃついたり、雨がふるとその公園の向かいにある銭湯の小さな階段にふたりならんで座って雨宿りをしたり、そんな甘酸っぱい思い出の女の子がいた。
でもぼくが高校を卒業してそれっきりになてってしまったのだが。

ぼくは就職組でみんなより一足はやく上京(滋賀だけど・・)していて、しばらくするとまだシマに残っているKから電話があった。
「あの子になにかプレゼントでもしとこうか? ボールペンでも渡しとくよ」と。
Kは良くいうと気の利くやつ、別のいい方をするとおせっかいなやつだった。ああまたおせっかいか・・と思ったけれど、まいいかと了解した。
でも、なんでボールペン?? そのときは尋ねもしなかったが、なんで女の子へのプレゼントにボールペンという選択だったのか、ジワジワと不思議感がつのり、なんとなくもやもやとしていたのだ。そのこともいつかKに聞いてみようと思っていた。




辻仁成の小説タイトルではないが・・・


二十歳になるかならないかの頃、「藤沢の家」に居て新聞配達をしながらサーフィンをしていた時期があった。その「藤沢の家」とは新聞専売所の専業の宿舎で、かなり古びてはいたが一戸建てで畳部屋が3部屋と広い台所があり、おまけに草だらけではあったが庭があり、その庭にはシャワーの設備までついていて、一人で住むには充分すぎる程の大きさだった。
好きなことを好きな場所で好きな人たちと好きなだけやっていたあの頃。
本当にいろんな人たちが日々そこにやってきては、先のこととかもなにも考えずに、明け方まで酒を飲んでは海に入り、夏の照りつける日差しの日も、台風の荒れ狂う波の日も、真冬の凍てつくような海の日も、ただただ海に入っていたあの頃。

あご、えび、たつまろ、しげひと、よしたか、こうしろう、くにじ、ちはる、たつや、ともこ、みほこ、つとむ、わきた、さゆり、
もっともっとたくさんの人たちが来ていたと思う。

今思うとそこにいたのは1年くらいでしかなかったが、その1年は僕の人生のなかでは一番濃く深い時間で、自分の核となり細胞の隅々まで浸透し、今でも宝物になっている。


昨日、あご・たつまろ・しげひとと、たぶんその時以来ではないかと思うくらいに久しぶりに再会し飲みにいった。

実は、あのとき一番先に挫折をしたのは自分であり、サーフィンをやめ「藤沢の家」からも引越し、そして今まであえてあのときの思い出を封印してきたのかもしれない。それ以降はそのときの仲間たちとも距離をおいていた。だから、昨日会うことには少しのためらいと、少しの抵抗感と、少しの後ろめたさがあったのだ。
でも会った瞬間、まろ顔を見た瞬間、大人になったしげひとの顔を見た瞬間、そしてあごと握手をした瞬間、30年という時間は埋まり、ぼくの細胞は覚醒し、禁断の宝箱の蓋は一瞬で開いてしまった。

そう、
たしかに僕はそこにいた。


あのころはほんとに貧しかった。
腹がへって何か食いたいが、3人の財布の中身の全財産が100円足らずしかなくて、しかたなく袋ラーメンを1個だけ買って、それを3人で分けあってすすっていた事。
深夜まで酒を飲んでも、ぼくは新聞の配達があるので3時には専売所に行き、そして配達を終え帰ってくると、眠たいぼくを無理やり海までつれてゆき、みんなは海にはいっているのにぼくは砂浜でダウンしてしまった事。
記憶の片隅にしか残ってないことや、すっかり忘れてしまっていることをみんなは詳細に覚えていることに感動する。

ああ、あの「藤沢の家」はぼくだけの宝物ではなくみんなの宝物だったんだと、
ぼくだけの核ではなくてみんなの核だったんだと、


もう宝箱の蓋は自分の力で開くことができる。


そう、
今でも僕はそこにいる。


あの頃は、やたらとみんなで 「誰かと誰か」 を 「くっつけ」 ることがはやっていた。みんなといっても全員で16人しかおらず、それでもこの小学校ではいちばん人数の多い学年だった。
じゅんぎ(ぼく)、てるゆき、まこと、ひろき、かずのり、としゆき、こうき、はるき、しげこ、みずほ、みほの、あずえ、ふじみ、いくこ、みちよ、みより、(ななみとかおるは転校していった)
今でも全員の名前を覚えているし、顔を思い出すことさえできる。都合のいいことに男8人女8人と、全くもってバランスがとれていたのだ。

で、ぼくの相手がしげこちゃんだった。
しげこちゃんは目がクリッとした女の子で、しっかりものの優等生だった。ぼくが好きになったのが先だったのか、それとも誰かが 「くっつけ」 たのか、それとも 「くっつけ」 たから好きになったのか、それは自然と 「じゅんぎがしげこを好きみたい!」 という図式がいつの間にか出来上がっていた。だれかに冷かされるたびに怒った(ふりをした)り、でも冷かされるのが少年にとっては逆に嬉しかったりもする。しげこちゃんも「もー!」とか言いながらまんざらでもないような素振りをたまに見せる。
そして一度だけ、みんなに見せつけるかのように手をつないで下校をしたことがある。いやはやたいしたもんだ・・
切なくもなく愛しくもならない、それでも確かにあれは 「好き」 という初めての感情だったと思う。

 

中学校に上がると、3クラスで合計100名程の大所帯になり、しげこちゃんとはクラスが一緒になることもなく、自我の芽生えと共に自然と話さなくなる。


高校は9クラス300名、益々疎遠になる。

わずかにしげこちゃんとの思い出(らしきもの)がひとつ。
その頃ぼくは50㏄のバイクで通学しており、何かのタイミングで前を行くバスをバイクで追いかけていた。山道のカーブに差し掛かると、前のバスを追いかけるのに必死になり、ハンドルを切りそこない転倒してしまった。バイクから放り投げられアスファルトに叩きつけられ、ズボンも服も顔も頭も真っ白なほこりまみれになったのだ。でも不思議と怪我ひとつなく(膝を少し擦りむいたくらい)、転がったバイクの前に呆然と立ち尽くしていた。前のバスは停車して窓ガラスからみんな心配そうにぼくを見ていた。
するとひとりの女の子がバスからおりて走ってぼくに近づいてきた。
「じゅんぎー!、大丈夫?」
しげこちゃんだった。



高校を卒業して、そして今日までしげこちゃんとは会っていない。

それでも二十歳を少し越えた頃、一度だけ電話で話したことがある。その頃しげこちゃんは中学時代の同窓の女の子と一緒に看護学校に通っていて、電話の苦手なぼくが時間を忘れて、時間を越えて、しげこちゃんといろんな話をした。今の生活のこと、将来のこと、昔のこと、猫のこと、ひろきのこと。
電話の中のしげこちゃんは、二十歳を越えたしげこちゃんではなく高校生のしげこちゃんでもなく中学生のしげこちゃんでもなく、あの頃 「くっついた」 しげこちゃんだった。



2013年1月15日
しげこちゃんは癌と闘ったすえに天国に行った。



 

村の電信柱にはすこし眩しすぎるくらいの街灯がついていて、夜になると燦々と灯るその光をめざして、たくさんの夏の虫たちが集まってくる。黄金虫やちょっと大きめの蝿やちいさなトンボたちや名もない虫たちだ。それを夏の間、まいにち飽きもせずに眺めている少年がいた。ぼくもそういうのを見るのが嫌いではなかったので、時々その少年といっしょに街灯に集まる虫たちを眺めていた。

あるとき、黒い物体が光に向かって突進してきて、街灯にぶつかり、ぽとっと地面に落ちた。少年はすかさずその黒い物体を拾いあげると、持っていた紙袋に入れて走って家に帰っていった。ぼくはわけも分からずにその少年を追っかけて家までいっしょに付いていった。少年は紙袋から拾ったそれをすくい出すと、プラスチックの虫かごの中に無造作にほうり込んだ。虫かごの中にはたくさんのクワガタが入っていて、少年はそれをぼくに誇らしげに見せるのだ。

なるほど、少年は毎日々々電信柱の下でクワガタ狩りをしていたのである。
 

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