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まず、冒頭の海のシーン。轟々とうねりながら押し寄せてくる巨大な波、爆音と一緒に堤防をも砕かんばかりの勢いで迫ってくる波、波、波、・・・・これだけでやられました。

で、波のシーンが終わり画面が真っ暗になった。

シーンが変わり、カミソリを手にした爺さんが、逆さまに吊るされた真っ白なヤギの前に立っている。爺さんはおもむろに逆さになったヤギの首にナイフを入れ切り裂きだした。したたるヤギのまっ赤な血は下に敷いたゴザに落ちてゆく。そのゴザを小さなカニがゆっくりと歩いていく。

シーンが変わり、雲の間から大きな満月が顔を出す。浴衣を着たシマの人たちがチヂンを叩き、シマ唄をうたい、八月踊りをしている。ただひたすらに踊っている。


この始まりのひとつひとつのシーンだけでもう十分に満足です・・

ヤギを殺すシーン(血抜き)は一見残虐にも見えるが、奄美の人間ならだれでも知ってることで、自然界の尊いイノチを食らってぼく等ニンゲンは生かされているんだという、いわば儀式のようなものだ。このヤギを殺すシーンはこの冒頭と中盤にも登場し、この「2つ目の窓」の象徴なのだと思う。母親の死を目の当たりにしたときの杏子の目は、ヤギが息絶えるときにカッと見開いた目が乗りうつったかのごとく圧巻だった。

そして奄美の象徴といえば照りつけるティダ(太陽)だが、この映画でティダが登場するのは、杏子の母親が見上げるガジュマルの樹の枝葉からこぼれるわずかな陽射しだけ。そのこぼれる陽射しだけでもかなり強烈なのだが、あえてガジュマルによって遮らせて本当のティダを隠しているようにも見えた。逆にその奄美の象徴のティダよりも印象にのこったのがお月様だった。冒頭の八月踊りの時に出た満月をはじめ、昼間でも見える白い月、その他にもいろんな場面に月を登場させている。太陽は「生」であり「動」であり、月は「死」であり「静」であり、海は「動」であり、樹は「静」である。

杏子の母親が息絶えるときに、シマの人たちはサンシンを弾き、シマ唄をうたい、八月踊りをはじめる。そこには「生と死」も、「静と動」も同居している。母親が死んだあと、徐々に外に風が吹き始める。それは台風になりガジュマルの樹を揺らし海を荒れさせる。「死と動」さえもこの世界は同居しているのだ。
台風が過ぎ「静」の世界にもどった。荒れたガジュマルの枝を重機で伐採していくうちに、初めて本当の「ティダ」が顔をだすが、それはほんの一瞬でまたすぐに月が登場する。しかしその月は今度は満月ではなく半月よりやや膨らんだ月だった。


とにかくふとつひとつのシーンがとても印象的で、そのシーン毎にメッセージを持たせストーリーを展開していく。冒頭の波のシーンは、「ラストサムライ」の冒頭の渡辺謙が馬で疾走しているシーンを彷彿させ、見終わった後は「深呼吸の必要」をふと思い出した。「深呼吸の必要」は、ただただサトウキビ畑でキビ刈りを続けるだけのシーンの繰り返しで、そのサトウキビが風に揺れる「ザワザワザワ・・」とした音と、カッと照りつける太陽だけがなぜか印象強く心にのこっている。「深呼吸の必要」が「太陽」の映画なら、「2つ目の窓」は「月」の映画なのだろうか。あるいは「静」の映画と「動」の映画なのだろうか。

あと残念なことは、杏子のサンシンで踊る杉本哲太の六調があまりにヘタすぎ・・


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