一日目 新宿~仙台
新宿から7:30の高速バスに乗り、仙台に到着したのが13:10。約6時間もかかったが、ふだん仕事で長時間運転しているので客として乗ってる分にはぜんぜん苦にならなかった。
あした石巻に行く以外はこれといった予定も計画もない。仙台まで高速バスで2800円という格安で行けるという情報を入手し、この休みを利用して被災地の石巻まで行ってみようと、ほんの気まぐれに思いついた旅だった。なんの計画もたてず、なんの予定もたてず、なりゆきにまかせて気まぐれに、そんな旅にしようと思った。
でも初日の宿ぐらいは調べておくべきだった・・と仙台に着いてから少しの後悔を覚えつつ、駅周辺を散策して、また駅にもどり石巻までの経路を調べた。
仙台から石巻までは仙石線で一本で行けるのだが、震災の影響で不通の区間があり、途中バスへ乗換えをしなければならないとのことだった。なんにしても2時間ぐらいでいけそうだ。
市内観光などする気はさらさらなく、さっき見つけたカプセルホテルに今日の宿をとることにした。
二日目 仙台~石巻
仙石線の松島海岸でバスに乗りかえるのだが、松島海岸の2つ前の駅がぼくの乗った電車の終着で、ここで次の電車に乗り換えなければならなかった。次の便まではかなり時間があったので駅員に断わって改札の外にでて一服した。また改札から中に入ろうとしたら駅員さんが、「次の電車は折返しでまた仙台に戻る電車なので間違わないでくださいね~。お客さんの乗る電車は1番線の〇分発の電車ですよ~」と、ぼくが行先も言ってないのに、その駅員さんはかって知ったかのごとくぼくに親切に教えてくれた。ぼくの風貌を見て、地元の人ではなく旅人だとすばやく判断し行先を推理し、適切な助言を与えてくれたのだ。そのあたたかくのんびりした駅員さんの東北なまりの言葉だけで、ああここに来てよかったなと思った。
電車、バス、また電車と乗換えをくりかえし、ようやく石巻に到着する。
着いてから知ったのだが、ここ石巻は石ノ森章太郎の出身地らしく、街のいたるところに漫画の看板やらモニュメントやらがあり、漫画の街として街起しをしているのがわかる。
バス待ちをしているおばちゃんに震災のことを聞いてみた。
「そりゃすごかったよ~、ここまで水がくるんだもん!」と自分の胸のあたりを指さし、ひょうきんに身ぶり手ぶりでそのときの様子を笑いながらぼくに話して聞かせる。そのおばちゃんがひょうきんに話せば話すほどぼくはいたたまれなくなり、お礼を言ってその場から離れた。おどけてみせるそのおばちゃんにもあのときの傷は深く刻まれているわけで、おばちゃんの話を最後まで聞くことができなかった。そしてふと足元を見るとこんなものがあった↓

駅の入口に貼られていた浸水位置を示した看板だった。
北上川沿いに海岸線まで行ってみようと思い川べりまで歩いていったら、「石巻まちなか復興マルシェ 」がしずかに佇んでいた。
近くの中州に銀色のたまご型で宇宙船のような建物があった。行ってみると「石ノ森萬画館」というもので、これもあとになって知ったのだがこの建物も被災し二階部分まで浸水し、いまでは再館され復興のシンボルになっているそうだ。
海岸線まではまだまだ遠そうなのでバスで渡葉というところまで行く。
駅前はだいぶ復興はすすんでいるように見えたが、駅を離れるとまだまだ空地が多くあり、道沿いにある墓地の墓石も新しいものが多かった。渡葉に着くとやっぱり空地は多く、川沿いの護岸工事も海岸線まで永遠と続いているようで、復興もまだまだなのだなと感じる。
石巻駅まで戻り、さて明日はどこに行こうかと考えこむ。なにしろ思いつきばったりの気ままな旅だ。あした東京に戻ってもいいのだ。路線図を見ると「陸前高田」という地名がみつかる。そうだ陸前高田に行かずしてどこに行く!そうだ明日は陸前高田に行こう。
新宿から7:30の高速バスに乗り、仙台に到着したのが13:10。約6時間もかかったが、ふだん仕事で長時間運転しているので客として乗ってる分にはぜんぜん苦にならなかった。
あした石巻に行く以外はこれといった予定も計画もない。仙台まで高速バスで2800円という格安で行けるという情報を入手し、この休みを利用して被災地の石巻まで行ってみようと、ほんの気まぐれに思いついた旅だった。なんの計画もたてず、なんの予定もたてず、なりゆきにまかせて気まぐれに、そんな旅にしようと思った。
でも初日の宿ぐらいは調べておくべきだった・・と仙台に着いてから少しの後悔を覚えつつ、駅周辺を散策して、また駅にもどり石巻までの経路を調べた。
仙台から石巻までは仙石線で一本で行けるのだが、震災の影響で不通の区間があり、途中バスへ乗換えをしなければならないとのことだった。なんにしても2時間ぐらいでいけそうだ。
市内観光などする気はさらさらなく、さっき見つけたカプセルホテルに今日の宿をとることにした。
二日目 仙台~石巻
仙石線の松島海岸でバスに乗りかえるのだが、松島海岸の2つ前の駅がぼくの乗った電車の終着で、ここで次の電車に乗り換えなければならなかった。次の便まではかなり時間があったので駅員に断わって改札の外にでて一服した。また改札から中に入ろうとしたら駅員さんが、「次の電車は折返しでまた仙台に戻る電車なので間違わないでくださいね~。お客さんの乗る電車は1番線の〇分発の電車ですよ~」と、ぼくが行先も言ってないのに、その駅員さんはかって知ったかのごとくぼくに親切に教えてくれた。ぼくの風貌を見て、地元の人ではなく旅人だとすばやく判断し行先を推理し、適切な助言を与えてくれたのだ。そのあたたかくのんびりした駅員さんの東北なまりの言葉だけで、ああここに来てよかったなと思った。
電車、バス、また電車と乗換えをくりかえし、ようやく石巻に到着する。
着いてから知ったのだが、ここ石巻は石ノ森章太郎の出身地らしく、街のいたるところに漫画の看板やらモニュメントやらがあり、漫画の街として街起しをしているのがわかる。
バス待ちをしているおばちゃんに震災のことを聞いてみた。
「そりゃすごかったよ~、ここまで水がくるんだもん!」と自分の胸のあたりを指さし、ひょうきんに身ぶり手ぶりでそのときの様子を笑いながらぼくに話して聞かせる。そのおばちゃんがひょうきんに話せば話すほどぼくはいたたまれなくなり、お礼を言ってその場から離れた。おどけてみせるそのおばちゃんにもあのときの傷は深く刻まれているわけで、おばちゃんの話を最後まで聞くことができなかった。そしてふと足元を見るとこんなものがあった↓
駅の入口に貼られていた浸水位置を示した看板だった。
北上川沿いに海岸線まで行ってみようと思い川べりまで歩いていったら、「石巻まちなか復興マルシェ 」がしずかに佇んでいた。
近くの中州に銀色のたまご型で宇宙船のような建物があった。行ってみると「石ノ森萬画館」というもので、これもあとになって知ったのだがこの建物も被災し二階部分まで浸水し、いまでは再館され復興のシンボルになっているそうだ。
海岸線まではまだまだ遠そうなのでバスで渡葉というところまで行く。
駅前はだいぶ復興はすすんでいるように見えたが、駅を離れるとまだまだ空地が多くあり、道沿いにある墓地の墓石も新しいものが多かった。渡葉に着くとやっぱり空地は多く、川沿いの護岸工事も海岸線まで永遠と続いているようで、復興もまだまだなのだなと感じる。
石巻駅まで戻り、さて明日はどこに行こうかと考えこむ。なにしろ思いつきばったりの気ままな旅だ。あした東京に戻ってもいいのだ。路線図を見ると「陸前高田」という地名がみつかる。そうだ陸前高田に行かずしてどこに行く!そうだ明日は陸前高田に行こう。
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