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外堀通りを赤坂見付方面から溜池の交差点にむかって車を走らせていた。交差点にはコマツの大きいビルやりそな銀行の入ったオフィスビルが並んでいるが、そのビルのエントランス付近に何人かの警官と数人の人だかりができていた。事件でもあったのかなと思って見ていたが、それにしては緊張感が微塵も感じられず、逆に集まっている人たちの顔には笑みさえ見えるのだ。
ぼくは右折車線に入っていたので信号が変わるまでけっこう時間がかかる。興味深く様子をうかがっていると、やおら警官がゆっくりと歩きだし、集まっていた何人かもまたゆっくりと警官のあとについていった。すれ違う人々は警官の足元のあたりを見ながらやはり微笑んだり、中にはケイタイを下方に向け写真を撮っている人もいる。

なんと警官の後には、親カルガモを先頭に3匹の仔カルガモ一家がひょこひょこと歩いていたのだ。
おお!これがカルガモ一家のお引越しかー!と、感動している間に信号が変わり車が動き出した。
梅雨も明け、うだるような暑さの中、カルガモたちはニンゲンたちのことなどどこ吹く風といったようにひょこひょこひょこと歩いている。その姿はひょうきんであり愛しくもありこっけいでもあった。

でも・・と、ふと考える。カルガモのお引越しは皇居のお堀とかあの辺ではなかったっけ・・ 。それにテレビやマスコミ、見物人が雑踏するイメージがあったのだが。果たして僕がさっき見たカルガモ一家のお引越しはまるで地味で、人の群れといっても十人いるかいないかくらいで、行き交う人々がただ微笑むくらいで、もしかしたら彼らはモグリのカルガモ一家だったのだろうか。皇居のお堀のカルガモ一家のパロディをやっていたのだろうか。それになんであんなオフィス街を歩いていたのだろうか。いったい彼らはどっから来てどこに行こうとしていたのだろうか。謎は深まるばかりであった。
そういえば人をくったような彼らのあのひょこひょこ歩きの後ろ姿には哀愁が漂っていたような気がした。
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こんな文章、こんな物語を書いてみたい、と思った小説にめぐり合った瞬間。
ああ、ぼくはずっと君を探してたんだ、と深い悦びに感じ入る。

ストーリー的なものはほとんどなく、過去の記憶とその風景を淡々と描いているだけなのだが、物語に吸い込まれていくのではなく、わりと醒めた自分の細胞にすっぽりと溶け入るような、そんな感覚。
何気ない光景の描写のなかに、既視感を見、狂気を見、光と絶望を見る。

その 「台風の眼」 を、ぼくは愛しい人を撫でるように、ゆっくりとゆっくりと時間をかけて読んでいく。

あれから二度目の年越し。
壊されたもの失ったもの泣いたもの耐えたもの歩き出したもの蘇えったもの立ちどまったもの、
さまざまな光景がそこにあり、それでもやっぱり明日は来る。
パンクしてずっとほったらかしにしていた自転車を修理した。
一ヶ月ぶりのmyカーで荒川土手を疾走する。
全身に受ける風は冷たく、季節は確実に秋から冬へと向かっている。
明日から11月だ。

目黒区の交差点は、とても趣き深い名称や珍しい地名が多い。 「蛇崩:じゃくずれ」 「油面:あぶらめん」 「田道:でんどう」 「後地:うしろじ」 等々。

なかでも僕のいちばんのお気に入りの交差点は 「蛇崩」 の交差点だ。最初にお客さんからその地名を聞いたとき 「ど、どこですかそれ?」 と、わざとお道化てみせ失笑をかったことがある。初めての地名を聞いた場合は、知ったかぶりをせずに、自らお道化を演じてみるのもひとつの有効な手段なのだ。ただし相手を見極めなければとんだ失敗になるのだが・・。

蛇崩にはいろんな入り方があるが、いちばん簡単なのは山手道りの青葉台一丁目の交差点から野沢道りに入り、道なりに進んでいくと三宿道りと交差する少し手前にその交差点がある。車二台がギリギリにすれ違えるくらいの狭い道路で、ゆるやかな坂道が蛇崩の交差点でゆっくりと右にカーブし、左下からは中目黒から伸びたまっすぐな道と、左斜めからは中途半端な道が交差し、右方向には狭い路地が伸びて、けっこう複雑な交差点なのだ。その名のとうり、かなり不気味で静かで不思議な雰囲気をかもしだしている。

「蛇崩」という名の由来を調べてみると、その昔この地で洪水があり崩れた崖から大蛇が出てきた、とか、その洪水の水の流れがくねりながら渦巻く様が蛇と似ていた、とか、その他にもいろんな説があるそうだ。いずれにせよ、水量の多い川があり、崩れるほどの崖があり、かなりの辺境地であったのは間違いない。

「油面」の由来は、この一帯で菜の花の栽培をしており、そこから採れる油をお寺の灯明用として奉納していたため税が免除された。「油免」→「油面」になったそうな。
「田道」は、読んで字のごとく田んぼの道・・ と、思いきや、江戸時代に音読みが流行し 「たみち」 が 「でんどう」 になったそうな・・。

ま、これらの説のどこまでが真実でどこまでが作り話とかは自分自身の想像力の問題であり、そのイメージの向こう側を見ながらいろいろな交差点を通過していくのも、また乙なものである。

福山雅治の歌に ”イメージの向こう側” というフレーズが出てきて、どんな歌だったか忘れたけれど、そのフレーズだけが心に残っている。

いろんなことを想像しイメージしてみる。空の広さや宇宙の碧さ、今朝みた夢のことや、明日のこと未来のこと。動物には直感があり人にはイメージする力がある。 「人間が想像したことはすべて実現している」 と誰かが言っていた。それは飛行機であったり携帯電話であったり、インターネットであったり核兵器であったり。しかし、それらはイメージのこちら側にしかすぎないのだ。

人にだけ与えられた力で僕たちは空や宇宙や夢や明日の向こう側を見ることができる。

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